にわかじこみの一般人。

オススメの漫画・ゲーム・映画をわかりやすく紹介していきます。

【ネタバレ考察】あしたのジョー の 白木葉子 について

あしたのジョー

 

俺の父も母も、漫画を読む。

 

母はバスケをやっていたこともあってスラムダンクが大好きで、既にコミックスを全巻持っているのに「大きい画面で読みたいから」という理由で完全版を全巻俺に買ってこさせるくらいだし、

父は実は子供のころ漫画家になりたかったらしく、最近はワンピースにハマってアニメを一から15年分一気見するほどのめり込んでいる。

 

そんな父と母が、口を揃えて、「スラムダンクより面白かった」と言っていた漫画があった。

 

それが『あしたのジョー

 

5年程前だったか、それほど言うならいつか読んでみたいと思っていたこの有名すぎる作品を、ついに読んでみた。

昔の漫画だから、『スラムダンク』とは比ぶべくもないし、同じボクシング漫画でも『はじめの一歩』の方が好きだが、その2つの名作もこの傑作がなかったら存在しえなかったと考えると感慨深かったし、そう思わせるだけのエネルギーと迫力は十分感じ取ることができた。

 

何より、最大のライバル 力石 徹 との決着を、最高の形でつけているのが素晴らしい。

力石が死ぬ、ということは前知識として知っていたが、まさか主人公が負けて終わるとは!

しかもお互いが最高のパフォーマンスを出し切ったうえで、ライバルが一歩上を行き、そしてそのまま永遠に再戦することはない。何て展開だ。

『はじめの一歩』は素晴らしい漫画だが、最大のライバル 宮田 一郎 との決着から逃げてしまった以上、『あしたのジョー』を超えることは永遠にできないだろう。

 

 

この漫画を読んで、めちゃくちゃ驚いたことがある。

 

それは、ヒロインの 白木 葉子 の存在だ。

 

この時代に、こんなに存在感のある、捻くれたヒロイン像を描けるものなのか。

 

昭和の漫画のヒロインなんて、男の三歩後ろを黙って歩くだけの、古い女性観を全開にした添え物みたいなヒロインしかいないと思っていた。

それが、あんなに性格の悪さと強さを全開にした、男よりも強烈な毒気と迫力のある女性キャラクターを描けるなんて!

 

 

俺がこの漫画で最も好きなシーンの一つが、以下の場面だ。

 

矢吹 丈 の最後の戦い、ホセ・メンドーサとの試合の最中。ホセに打ちのめされ、ボロボロになり、これ以上続けたら死ぬかもしれないのに闘い続ける丈。そんな彼に対して、セコンドの丹下段平も、事務の後輩たちも、皆「もういい、お前はよく戦った、もうリングを降りろ」と言う。

そんな中、白木葉子が、白木葉子だけが、ただ一人、

 

「何やってるの矢吹君。もう少しじゃない。ここまできたのよ、最後まで戦いなさい。」

 

と檄を飛ばすのだ。

 

 

過去に俺が読んだ漫画の中で、これと全く同じ行動を取った人物がいた。

 

スラムダンク』の 湘北最後の戦い、山王工業との試合の最中。背中を痛め、これ以上試合に出たら選手生命にかかわるかもしれないと言われた桜木。安西監督も、マネージャーの彩子も、皆試合に出ることを止める中、親友の洋平が呟く。

「今、たった一人、あいつを動かせるとしたら―――」

その瞬間、試合が止まる笛が鳴る。味方の誰かが、わざとファイルをしたのだ。

彼は言う。

「おい、目障りなんだよ。そんなとこにボーッと突っ立ってられるとよ。

 出るなら出ろ。」

そして、桜木は試合に再度出場する。

 

そう、白木 葉子 が 矢吹 丈 に対して行った行動は、

スラムダンクで 主人公の最大のライバル 流川 楓 が 桜木 花道 に対して行った行動と、ピタリと一致するんだよね。

 

このことから考えても、白木 葉子 の立ち位置は、ヒロインというよりどっちかっていうとライバルのそれに近い。

考えてみれば、矢吹丈に数々の強力なボクサーを送り込み、幾度となく丈の前に立ちはだかった葉子はまさに矢吹丈のライバルだ。いがみあいながらも互いの実力を認めていく点もそう。

最後の最後に葉子が丈に抱く恋心も、普通の漫画のヒロインが主人公に抱くそれと同じものではなく、男同士が河原で殴り合った後に芽生える友情に近いものなのではないか。それがたまたま男と女だったから、恋心という形で発露したというだけなのではないか。

 

俺は以前、『バガボンド』の"あるエピソード"を読んで以来、あくまで極論だが、男の友情の究極の形は「殺し合い」なのではないかという理論を持っている。これに関してはいつか『バガボンド』のレビューを書くときにでも詳しく書こうと思うが、丈と葉子の絆にもそれに近いものを感じる。

葉子は丈が自分の命を賭けてでも、命が尽きてでも闘い続けることを望んでいることを、誰よりも知っているからこそ、あの場面でただ一人、非情とも思える「戦え」という言葉をかけることができるのだ。

それは、隣で同じ方向を向いて支え続けてきた段平たち「仲間」には決してわからない、丈の拳を正面から受け続けてきた「敵」にしかわからない視点なのだ。

 

だからこそ、丈が試合後に最後にグローブを渡す相手は段平ではなく葉子なのだろう。

 

主人公の横で主人公を支え続け、同じ方向を一緒に見てきた「味方」としてのヒロインではなく、主人公の前に幾度となく立ちはだかり、真正面から主人公の拳を受け続けてきた「敵」としてのヒロイン。

 

昨今の漫画でもなかなか見ない。

めちゃくちゃ強烈で魅力的なキャラクターだ。

 

白木 葉子。

彼女がいたから、『あしたのジョー』はより名作として歴史に名を残したんだと思う。

【ネタバレ考察】魔法少女まどか☆マギカ の 5人の役割について

魔法少女まどか☆マギカ

 

4クール、全53話で面白いアニメ。

2クール、全24話で面白いアニメ。

そういうアニメは沢山ある。

 

魔法少女まどか☆マギカ』がすごいのは、

たった1クール、全12話で、

これほど面白いアニメを作り上げているという点だ。

 

24話も与えられれば、ノリと勢いで何とかなる部分もあるけど、

たった12話で視聴者を唸らせる盛り上がりのあるアニメを作るには、

ありとあらゆる計算尽くな仕掛けが必要だ。

 

そして、『まどマギ』はこれがめちゃくちゃ上手い。

12話という話数の使い切り方、

5人という限られたキャラクターへの役割分担が、

これ以上ないほど完璧に計算されてる。

 

 

実際、『まどマギ』のストーリーの各フェーズの中で、

5人のキャラクターはそれぞれどのような役割を演じているのだろうか。

 

まどマギ』のストーリー構成は大きく4つのフェーズに分かれている。

 

 

① 起

まずは1~3話の「物語の導入部分」。

 

ここでは 巴 マミ が、

物語の中では まどか と さやか という2人の主人公を、

物語の外に対しては 視聴者 を、

それぞれ魔法少女の世界へと誘っていく。

 

ここでの立ち位置は、

まどか・さやか =「一般人」「視聴者と同じ目線」「狂言回し」

マミ =「"魔法少女"という特別な存在」

である。

 

そして、3話の最後で、マミが自らの命と引き換えに、まどかとさやかの2人と、そして我々視聴者を、本当の魔法少女の世界へと引き摺り込んでくる。

 

 

② 承

続くは4~9話の「一般的な魔法少女の顛末を描いた部分」。

 

この部分こそが、この物語の本編である。

と、同時に、この部分はまだ、世界設定の長い長い説明に過ぎない。

 

というのも、

まどマギ』のストーリーのどこが本編か?

というのは、2つの捉え方ができて、

「普通の一般人の世界から見た "魔法少女" という特別な存在の物語」という視点で見た場合、この4~9話こそが本編になるが、

「普通の魔法少女の世界から見た "暁美ほむら" という特別な存在の物語」という視点で見た場合、4~9話は世界設定の説明に過ぎなくて、10~12話こそがこの物語の本編、ということになる。

 

いずれにせよ、このパートは「この世界の魔法少女は一般的にどのような道筋を歩むか」というモデルケースを、魔法少女に就任するところから、魔女になって討ち倒されて無残に死ぬところまでを、ノーカットで視聴者に見せつけて説明するパートになっている。

 

このパートの犠牲者主人公は 美樹 さやか 

 

そして、彼女を見る視点として、「一般的な普通の人間」の他に、「一般的な普通の魔法少女」が必要になってくる。「一般的な普通の人間」の目線はまどかが担ってくれるが、「一般的な普通の魔法少女」の目線を担うキャラクターがいない。巴マミは退場してしまったし、暁美ほむらはこの後にまだ別な役割を負っているためにこの役を演じることができない。

 

そこで登場するのが 佐倉 杏子 

 

彼女は、美樹さやかの物語、つまり、魔法少女がどのようなおぞましい結末を迎えるのかを、同じ魔法少女の目線から覗くために、必要不可欠な存在である。さやかの物語は、「魔法少女じゃない普通の人から見たらどう見えるか」と「同じ魔法少女から見たらどう見えるか」の2つの目線が必要になる。それを、まどかと杏子がそれぞれ担ってくれる。

 

だから、杏子はさやかの物語のみに必要なキャラクターである。その証拠に、さやかが退場するのと一緒に彼女も退場してしまう。

 

さやか = 主人公

まどか = 魔法少女ではない普通の人間の目線から物語を眺める人

杏子 = 同じ魔法少女の目線から物語を眺める人

 

 

③ 転

そして、10話の「魔法少女という世界での "暁美ほむら" という主人公の物語」。

 

まどマギ』を、さやかたち 魔法少女という集団 が主人公の物語 ではなく 暁美ほむらという個人 が主人公の物語 ととらえたときには、この10話こそが正真正銘の本編となる。

 

この10話では、一転して今まで謎に包まれていた 暁美 ほむら が「主人公」となり「視聴者の目線」となり「狂言回し」となる。逆に、今まで「普通の人」であり「視聴者の目線」であり「狂言回し」だったまどかが、「ヒーロー」であり「特別な存在」へと入れ替わる。この逆転現象は本当に上手い。

 

ほむら = 「主人公」「視聴者の目線」「狂言回し」

まどか = 「ヒーロー」「特別な存在」

 

 

④ 結

11話と12話は、もうぶっちゃけ物語を畳むためだけのパート。

言ってみれば「オチ」。

正直多分、4~9話までのさやかのパートと、10話のほむらのパートで、作者の描きたい部分は終わってる。

あとは、どう話を着地させるか。どうオチを付けるかだけ。

 

そしてそのために、そのためだけに、主人公である 鹿目 まどか にようやく役割が与えられる。

このパートでのまどかの仕事はたった一点のみ。

デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)」だ。

 

デウス・エクス・マキナの意味が何なのかは各自調べてほしいが、調べれば分かる通り、この言葉はこのパートのまどかのために作られたんじゃないかと思うほどにしっくりくる言葉である。要は 鹿目 まどか はこの着地不能な壮大な物語を無理矢理終結させるために最初から配置された舞台装置だったのである。

 

ほむら = 狂言回しとしての主人公

まどか = デウス・エクス・マキナ

 

 

 

面白いのは、マミ、さやか、杏子、ほむらに劇中で与えられた役割は一つだけなのに対して、まどかには章ごとにそれぞれ異なる役割が与えられているという点である。1~9話では普通の人目線での狂言回し、10話では主人公にとってのヒーローであり特別な存在、そして、12~13話では物語を終わらせるための舞台装置。

 

巴マミは、視聴者と主人公を物語の世界へと「巻き込んでいく」まさに

美樹さやかは、物語の一番の骨格を一番長い尺を取って演じ切る、まさに「物語の」。

佐倉杏子は、美樹さやかの物語をにぎやかすためだけに用意された、まさにサクラ=

暁美ほむらの行動こそが、この長い物語の起点=物語の夜明けとなる、まさに(あかつき)。

そして、鹿目まどかは、この着地不能な物語を終わらせるための、まさに(かなめ)。

というのが5人の名前の由来なんだと思うんだかどうだろうか。

 

これほど綺麗に、12話のストーリーの1話1話に、起承転結の各部位を割り振り、

これほど綺麗に、5人のキャラクターに物語上の役割を与えて、

たった1クールでストーリーを流れるような1本の線にして表現し切ったのは本当に凄い。

 

魔法少女まどか☆マギカ』、本当に完成された物語だ。

【ネタバレ考察】とっても!ラッキーマン と バクマン。と 男のロ・マン

とっても!ラッキーマン

 

大好きな漫画である。

 

そして、意外と泣ける。

 

世直しマンの改心。

勝利くんの頑張り。

会長がセンターフライ取るシーン。

 

中でも、ひときわ好きなシーンがある。

 

最終巻の出来事。

全宇宙の命運を賭けた戦いの決勝戦、出場選手を選ぶくじ引きで、ラッキーマンたち主人公チームが引き当ててしまったのは、仲間内最弱のヒーロー「男のロ・マン」。相手は普通に強い奴。予想通り、男のロ・マンは何度も何度も打ちのめされる。しかし、何度倒されても立ち上がり続ける男のロ・マン。ボロボロの姿で立ち上がりながら彼は叫ぶ。「俺は誰もが認める偉大な男になるんだ!」そして、圧倒的な実力差を前にしながら、彼はついに勝負を引き分けにまで持ち込む。自分自身の命と引き換えに…。

いやー、泣いたよね。

こういう話、大好物です。

で、その後はギャグマンガらしく、感動を台無しにするギャグエピソードが待ってるんだけど、そのシーンがまたただのギャグじゃなくて、永遠に分かり合えない男女の真実を風刺的に描いていて、これがまた好きだった。

 

少し解説すると、男のロ・マンが抱いていた「男のロマン」っていうのは、『宇宙一凄い大宇宙神になって、その就任式に、言葉もほとんど交わしたことがないがずっと片想いしているお姫様を招いて告白して結ばれる』というものだったんだよね。激弱ヒーローである彼が大宇宙の神になんかなれるわけねーだろ!ってのは誰もがツッコむところなんだけど、それに対する「簡単に叶わないからこそロマンなんだろうが!」ってのは男なら誰もが共感するところだろう。そして、「そんなもん待てるか!」っていうお姫様のビンタにも、女性なら誰もが共感するところだろう。

 

このギャグマンガらしからぬ妙に力の入ったエピソードに、小学生当時の俺はいたく感動した。

 

ところが、である。

 

時が経ち、2008年、『バクマン。』という漫画がスタートした。

 

その中で、漫画家を目指す主人公が、言葉すらほとんど交わしたことがないめちゃくちゃ美人のクラスの女の子に、「漫画家になれたら結婚してください」と申し込む。女の子の返事は「はい。」 ただし、お互いの夢がかなうまで会うのは止めましょう、という条件付き。

 

ん??

 

さらに、その主人公のおじさんである漫画家も、同じように言葉もほとんど交わしたことがない女の子にずっと片想いし、漫画家になって有名になったら告白しようと思い頑張ったという。ただ、その女性は、夢が叶う前に別な男性と結婚してしまった。

 

んん???

 

そして、そのおじさんの描く漫画には、「漢の浪マン」というキャラクターが登場する。漢の浪マンはすごく弱いダメヒーローだが宇宙一のヒーローになるのが夢でその就任式にお姫様を招いて告白するのが夢なんだそうだ。

 

おいおいおいおい!?!?

 

これって、大場つぐみの、

いや、ガモウひろしの、

実体験なんじゃねーの!?

 

どうりで妙に力が入っていたワケだ…。

 

どのエピソードにも共通する点は以下の通り。

・相手はめちゃめちゃ美人の女の子。お姫様、もしくはクラスのマドンナ。

・言葉すらほとんど交わしたことがない。

・なのに、何故か実は都合よく両想い。

・「夢が叶ったら告白しよう」と思ってる。

・それまでは、絶対に会わない。

 

結末だけがそれぞれ違う。

そして、『バクマン。』の主人公、真城最高は、この夢を叶え、ヒロインの女の子、亜豆に改めてプロポーズしてめでたく受け入れられる、というのが『バクマン。』の最終回になっている。

 

おそらく、おじさんのエピソードが一番真実に近いんだろう。言葉もほとんど交わしたことがない美人の女の子にずっと片想いしていて、漫画家として成功したら告白しようと思っていたけど、その子は別の男と結婚してしまった。と。

実は両思いだったってのはかなり怪しい。というか、言葉もほとんど交わしたことがないのに両想いとかありえないだろ。この辺はガモウひろしの妄想だと思うんですけど、どうですかね、女性の皆さん?

 

よしんば一瞬両想いだったとしても、そんな叶うかどうかわからない夢が実現するのを会わずに待っていてくれる女性なんてこの世に存在するわけないだろう。現実どころか今どきフィックションの中でも嘘くさすぎて白けるぐらいの設定だ。

 

とっても!ラッキーマン』の、男のロ・マンのエピソードも、

バクマン。』の最終回で、主人公とヒロインが結ばれるのも、

全てガモウひろしの叶わなかった夢と願望が具現化されたものなんだろう。

だから異様に力が入ってるんだ。

 

だが、辛辣なことを言ってしまうと、『バクマン。』の中での真城と亜豆のエピソードは、作者の自己投影と妄想が行き過ぎていて、正直ちょっと気持ちが悪い。

バクマン。』自体は非常にいい漫画なだけに、真城と亜豆のエピソードだけめちゃくちゃ浮いている。

正直、『バクマン。』の最終回は、悪い意味で鳥肌が立ってしまった。

 

最後はちょっと悪口になってしまったが、まぁ、作者の気持ちもわかる。『秒速5センチメートル』なんかもそうだけど、男ってのは性根が女々しい生き物なのよ。淡い初恋を超絶美化してずっと引き摺り続けるっていうね。スッパリ割り切ってすぐに前へと進める女性とは対照的である。

 

かのback numberも、アルバム『逃した魚』のジャケット裏に、「あなたの逃した魚はこんなに大きくなりました」って書いたというし、漫画家が漫画を私物化して自己満足全開の願望が叶う妄想を垂れ流したとしてもそれは無理からぬ話なんだろう。男ってのはどこかにそういう部分を抱えて生きているもんなのかもしれない。

 

あ、話がめっちゃ逸れたけど、ラッキーマンは今でも色褪せない名作だよ。

そんな裏話を知った今でも、男のロ・マンのエピソードは大好きだしね。

 

あー、いい加減、全巻買おうかなー。

とっても! ラッキーマン 全8巻セット (集英社文庫―コミック版)
 
バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)

バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)

 

【ネタバレ考察】クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望 が 面白い理由

クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望

 

クレヨンしんちゃんの劇場版で、一番の傑作は何か。

 

多くの人が、

『オトナ帝国の逆襲』と

『アッパレ戦国大合戦』を挙げるだろう。

 

大人も泣ける、というか完全に大人向けに作られたこの2つの映画。

文句ない傑作だ。

俺も1位と2位はこの2つだ。

 

じゃあ、3位は?って聞かれると、

そこは好みが分かれるところだと思う。

『嵐を呼ぶジャングル』だって人もいるだろうし、

『ヘンダーランド』だって言う人もいるだろう。

 

俺は断然、

『雲黒斎の野望』

を推す。*1

 

『雲黒斎の野望』の主人公は、しんのすけではなく雪丸だ。

女かと思ったら男、かと思いきややっぱり女性だった、

わずか15歳の美女剣士、吹雪丸

 

彼女の、男として生きなければいけない苦悩、

両親と妹を奪われた悲壮、

それらを前面に押し出しているからか、

作品全体に、クレヨンしんちゃんらしからぬ、どこか切ないような、物悲しいような、不思議な雰囲気が漂っている。

 

終盤、吹雪丸が、「私は女ではなァいッ!!」って叫びながら、自分の髪を切り落とす場面は、劇場版屈指の名シーン。

こういった子供向けではない描写は、当時からあったんだなぁ。

 

さて、吹雪丸と、雲黒斎ことヒエールとの戦いが決着し、戦国時代の春日城に平和が戻りました。めでたしめでたし。

と、物語はここで終わらない。

 

現代に戻り、そこでもう一度、

野原家vsヒエールの戦いが行われるのである。

 

前半は切なさと寂しさ漂う本格時代劇、

後半は爽快感溢れるロボットアクションバトル、

まるで2本の映画を1本に詰め込んだような、

一粒で二度美味しいのがこの『雲黒斎の野望』の大きな魅力だ。

 

但し、単なる2段構成にしただけでは、バラバラなお話が2つ続いただけの、どっちも中途半端な不完全燃焼な映画になってしまう。前半と後半では、舞台も、空気感も、登場人物も違うのに、なぜこの『雲黒斎の野望』は、全体に一本筋を通し、1つの映画として面白いものに仕上がっているのだろうか。

 

その秘密は、雪丸リング=スノーストームの存在である。

物語の終盤、吹雪丸と入れ替わる形で、それまでシロを通して喋っていた未来人、リング=スノーストームが姿を現す。

そして、その容姿は、雪丸と瓜二つなのだ。

そして、今まで野原家の隣で戦い続けた吹雪丸の代わりと言わんばかりに、

今度はリングが野原家の隣に立ちヒエールと戦う。

 

これによって視聴者は、映画の最初から最後まで一貫して同じ人物が野原家のパートナーとして出演しているという錯覚を得ることができる。

このサブリミナル的な効果によって、前半と後半で舞台も空気もバラバラな物語を、全体として一本芯が入った一貫性のあるものとして完成させている。

 

これは明らかに狙ったものだ。

その証拠に、リング=スノーストームという名前は、

スノーストーム=吹雪

リング=丸

と、まんま雪丸を意味している。

 

このストーリーの構成に、小学生当時の俺はいたく感動したもんだ。

「吹雪丸かっけー!時代劇おもしれー!」

「え?まだ終わらないの!?うわわわ、ロボットバトルおもしれー!」

「あーおもしろかった。でもバラバラな話なのに満足感高かったなー。なんでだろ?あ、そうか!リングのお姉さんだ!リングのお姉さんが吹雪丸っぽいから、話が違和感なく繋がってると思えるんだ!」

 

まぁ、こんな仕掛けを施しても、

そもそも時代劇とロボットバトルがそれぞれ単品で面白くなきゃ話にならないんですけどね。

結局、この映画が面白いのは、そのどっちもが面白いからっていうシンプルな理由に尽きるんですけどね。

 

その証拠に、このコマンドを未だに覚えている人は絶対にいるはずだ。

 

ABBAAB→→←

 

『劇場版クレヨンしんちゃん 第3弾 雲黒斎の野望』

オススメです。

映画 クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望  [DVD]

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*1:ただし、ロボとーちゃんとか最近のは見てないので、あくまで歌うケツだけ爆弾までの中での評価です。あしからず。

【ネタバレ考察】ロマンシング サ・ガ2 七英雄の謎について

ロマンシング サ・ガ

 

七英雄

 

俺がRPGで最も好きなラスボスである。

 

まず七英雄っていう言葉の響きがカッコいいし、

元が英雄っていうのも悲劇のバックストーリーを感じさせて良いし、

七人いるのも単純な一つの思想だけじゃなく七人の別々の思惑が絡み合ってキャラクターに深みを出しているし、

名前もフォルムもめちゃめちゃカッコいいし、

何より絶望的に強い。

 

そんな七英雄

 

だが、本当は彼らは何を考えていたのか、

なぜ悪となり皇帝の前に立ち塞がったのか、

そもそも本当に彼らは昔は英雄だったのか。

 

これらの答えが、ストーリー中に明確に説明されることは一切ない。

 

プレイヤーはただ、あちこちで拾える小出しの情報から、

「おそらくこうなんじゃないか?」ということを推理するだけだ。

 

これだけ魅力的なキャラクターと調理しがいのある素材を提供しておきながら、

いっさい料理することなく原材料のままぶん投げてくる感じ。

めちゃめちゃサガって感じで嫌いじゃない。

 

一応、通説として語られているのは以下の通り。

七英雄は、古代人の間で、モンスター退治を行って英雄になった。

・だが、その強大な力は、次第に古代人自身に向けられるようになった。

七英雄を疎ましく思った古代人たちは、次元転送装置の実験にかこつけて、七英雄を別次元に追放した。

・その後、古代人たちは、次元転送装置で安全な別世界へと移住した。

・怒り狂った七英雄は、元の世界に戻って来て、復讐のために古代人の足跡を血眼で探している。

・一部の古代人は元の世界に残り、万が一七英雄が戻ってきたら後を追えないよう、新人類を利用して七英雄を抹殺する計画を企て、それを実行した。

 

これらは、全て事実を元にした推測に過ぎない。

特に各人物たちの感情部分に関しては。

 

七英雄が古代人に力を向けていたというのは本当か?いつの世も、強大な武力が外敵を駆除してくれているうちは有難く感じるが、ひとたび平和になれば、その武力が自分たちの立場を脅かすのではないかと冷や冷やするのは世の常である。もしかしたら、七英雄自身は全くそんなつもりはなかったのに、当時の民衆たちが勝手に七英雄を危険視しただけ、という可能性もある。いや、民衆にとっては心から英雄だったからこそ、政治家や貴族といった権力者たちに疎まれてしまい、追放されてしまったという可能性もある。

 

また、次元転送装置の件にしても、本当に七英雄が謀略によって別次元へ飛ばされたのかは疑問が残る。もしかしたら、完全な善意で、英雄たちに名誉ある先発隊を務めてもらった結果、純粋な事故で、彼らだけ別次元へ飛ばされてしまった。という可能性もある。また故意だったとしても、それは「誰の」故意だったのか。当時の民衆全員の悪意だったのか、それともほんの一部の派閥の人間の策略だったのか。それによっても大分印象が違う。

 

オアイーブは主人公たち新人類を利用して自分たちの天敵である七英雄を抹殺した悪女として認知されているが、はたして本当に彼女たち「現世界に残った古代人たち」は悪だったのか。人類が滅ぶレベルの天変地異がおそってくるのに現世界に残るのは相当なリスクだ。そこまでして彼らが現世界に残ったのは、七英雄に罪の意識があったからなのではないか?とも取れる。例えば上記のように大多数の人間にとっては普通に英雄として慕われていたのに、一部の人間の謀略のせいで七英雄が別次元に飛んでしまったとしたら、七英雄を慕っていた派閥の人間は大きな罪悪感を感じるはずだ。その罪滅ぼしのために現世に留まったというのは十分に考えられる。そして、戻ってきた七英雄は人が変わっており、新人類に迷惑を掛け始めたので、仕方なく伝承法を新人類に伝え、七英雄を打ち倒す選択をした、という可能性も十分にある。

 

まぁ、七英雄の力が古代人自身に向かい、古代人に七英雄が疎まれるようになった、というシナリオが、一番プレイヤーをすんなり納得させるのは理由があるんだけどね。

 

だって、七英雄って全員

性格悪いんだもん。

 

 

たった一人を除いて。

 

 

俺も、七英雄の七人全員が性格悪かったら、

上記の通説に疑問を持たなかっただろう。

 

俺が七英雄に「別の可能性」を感じるのは、

ノエル の存在があるからである。

 

超絶紳士であり、基本的に必要がなければ皇帝と戦うつもりはない、

七英雄の良心、ノエル。

 

彼の存在が、七英雄のバックストーリーに様々な考察の余地を与えており、

ひいてはロマサガ2の物語全体に深みを持たせているといっても過言ではない。

 

七英雄は主人公たち新人類を虫ケラのように扱っているが、

これは彼らが悪だからというより、

彼ら古代人の感覚としては当たり前のことなんである。

 

中世以前のヨーロッパ人が、黒人や原住民族をモノ扱いしていたのと同じように、

それは悪とか差別意識とかそういう問題ではなく、

そもそも同じ人間ではないという感覚が常識だったということ。

 

その中において、きちんと主人公たち新人類の人権を尊重し、

「貴方たちに迷惑を掛けるつもりはなかった。すまない。」

とまで言えるノエルがどれだけ凄いかというと、

俺たちの世界でいえば黒人は奴隷でモノ扱いが当たり前だった時代に黒人の人権を主張したリンカーンキング牧師と同じくらいの聖人で人格者だということだ。

ワグナスたちが悪でノエルがまともなんではなく、

ワグナスたちが普通でノエルが聖人なんである。

 

さて、そんな超絶聖人のノエルが所属しているということは、

七英雄はただのならずもの集団ではない可能性が出てくる。

まー、クジンシーとボクオーンは間違いなく昔からクズだったんだろうし、

ダンターグは昔から脳筋バカだったんだろーけど、

ワグナス、ロックブーケ、スービエは、昔はまともだった可能性がある。

じゃないとノエルが行動を共にしないでしょ。

 

自分たちは古代人のために命を投げ出して戦ったのに、彼らの身勝手でとんでもない世界に送還されて、そこでたった七人で何千年も閉じ込められていたら、そりゃあどんな英雄だって怒りで人格変わるよ。そりゃしょーがない。

 

まぁ、ワグナスたちの行動理念が「怒り」と「復讐」なのはいいとして、

ノエルはどうなのだろうか。

あの聖人のノエルが、本当に復讐を考えていたんだろうか。

 

また、「貴方たちに迷惑をかけたくない」と言っていたノエルが、

他の6人を野放しにしていた理由は何なんだろうか。

 

俺が妄想するバックストーリーは、こうだ。

おそらくノエルは、怒り狂う他の6人(正確に言うと、怒り狂う3人とバカ3人)を止められなかったんではないか。七英雄一の実力者といえども、さすがに6vs1じゃ分が悪い。現世で新人類に迷惑をかけている件も、思い思いに動く他の6人を無理矢理止めるよりは、とっとと次元転送装置を見つけて、一刻も早くこの世界を去ることが、主人公たち新人類に一番迷惑を掛けない方法だと思ったんじゃないだろうか。だから、ノエルとロックブーケの兄妹の負ってる任務が、「次元転送装置の発見」なのである。この世界を去って古代人に追いついたとしても、ノエルは別に復讐なんかしたくないしむしろどうやって止めようかと悩んでいるけど、とりあえず何の罪もない新人類にこのまま迷惑を掛け続けるよりは、自分たちを飛ばした古代人たちに復讐の刃が向くほうがまだ自業自得でマシなんじゃないか。そう思って、とりあえずは次元転送装置を見つけてこの世界を去ることを最優先に考えている。

 

ノエルと、クジンシーやボクオーンみたいなクズが一緒にいるところを見ると、

なんであんたみたいな聖人があんな奴らと一緒にいるんだよと言いたくなるが、

たとえどんなクズでもたった七人で何千年も一緒に過ごした仲間だし、

見捨てることはできなかったんだろうなぁ。

 

結局、彼らは転送装置を見つけることはできないまま、復讐も果たせず、自分たちが奴隷と見下していた新人類によって抹殺されてしまう。

その悲哀を、ノエル視点で見ると、本当に切なくてやるせない物語に見えてくる。

 

七人のうち一人の性格を良くするだけで、

これほど考察しがいがある題材を提供できる。

スクウェアさん流石やでぇ。

 

やっぱり、七英雄って、不思議な魅力があるわ。

ロマンシング サ・ガ2

ロマンシング サ・ガ2

 

【ネタバレ考察】ドラゴンクエストⅥ の世界について

ドラゴンクエスト幻の大地

 

ドラクエの話。

 

天空シリーズは、6→4→5とつながっている。

ロトシリーズは、3→1→2とつながっている。

これは、プレイした人なら誰もが知っていることだ。

 

でも俺は、天空シリーズロトシリーズもまた、繋がっていると思っていた。

具体的には、3→1→2→6→5→4の順だ。

 

今回は、そんな妄想話。

 

ドラクエ3の最終盤、大地に空いた大穴に落ちると、その下にはもう一つの別な世界が広がっており、それこそが、1と2の舞台であるアレフガルドの世界だった。

というのが、誰もが知るドラクエ3の大オチだ。

アレフガルドに君臨する魔王ゾーマを倒し、アレフガルドの物語は1と2へと続いていく。めでたしめでたし。

 

でも、幼い俺はこう思った。

ちょっと待てよ?下の世界の物語は1と2へと続いていくことはわかるけど、上の世界の物語は?上の世界は、その後どうなっちゃったの?

 

加えて、ドラクエ3は2つの疑問を残したまま幕を閉じた。

① 竜の女王の卵

物語の途中で何の前触れもなくめちゃめちゃ唐突に出てくる「竜の女王の城」と、彼女が残した「卵」。これが何なのかは、最後まで一切説明されることはない。

この話をすると「いや、あの卵は1のラスボスの竜王でしょ」ってしたり顔で話す奴が出てくるが、あれはあくまで漫画『ロトの紋章』での設定だからな!公式設定じゃないからな!!『ロトの紋章』は俺も好きだけども、一つの可能性にすぎないから!!!*1

② ルビスが作った未完成の世界

アレフガルドは3の時点では船で進んでいくと海が途中で途切れており、それ以上は存在しない。にもかかわらず、1のエンディングでは主人公は船出をして新大陸に旅立ち、2の世界へと上陸している。実際に2ではアレフガルドの外にも大陸がたくさんある。

ということは、3の時点では下の世界は「作っている途中」だったということ。ルビスは上に完成した世界があったのに、なぜ下にもう一つ世界を作っていたのか。

 

これらの疑問が残ったままロトシリーズは完結し、

新たなシリーズ、天空シリーズがはじまった。

そして、満を持して、天空シリーズの完結編である6が発売された。

 

その内容はこうだ。

ドラゴンクエストⅥ ~幻の大地~ の あらすじ】

主人公は旅をする中で、地面に空いた大穴に出会う。その大穴に飛び込むと、その下にはもう一つの世界が広がっていた。それこそが、『幻の大地』と呼ばれる伝説の大地だった―――!

 

ん?この話、これってどっかで見たことないか?

上と下に2つ世界があって、上の世界に大穴が開いて、それに飛び込むと、下の世界に行ける―――

 

これって、まんまドラクエ3と同じじゃん!!

 

さらに、ドラクエ6のEDにはが出てくる。

未来が入っているという卵で、ドラクエ6の物語はこの卵が孵るところで終了する。

しかもいったい何が孵ったのかは明示されない。

 

上下の世界謎の卵。

これほど強烈な共通点を、堀井雄二が意図せず作り上げたとは考えにくい。

 

加えて、4と5に登場しなかった精霊ルビスも、6には登場する。

そして上の世界には、3に登場して強烈なインパクトを残したあのダーマ神殿も存在している。

 

これらの共通点から、俺が導き出した結論は、こうだ。

 

3よりも前の時代、精霊ルビスは一つの世界を作り上げたが、その世界は何らかの理由で不完全だった。そこでルビスは今ある不安定な世界の下に、もう一つ安定した世界を作り、そこを本命の世界として存続させる計画を実行した。その途上で大魔王ゾーマに石化させられ、未完成な下の世界は一時的にゾーマに支配されてしまう(3の物語)。

その後、3の勇者によってゾーマは倒されルビスは解放され、ルビスは無事下の世界を完成させることができた。完成させた世界では1の勇者が旅立ち、その子孫たちが町や村を作り上げ、2の勇者たちはその世界で冒険を繰り広げた(1と2の話)。

 

その後、長い長い時が流れ、お互いを忘れ去った上下2つの世界だったが、人々の「夢」を通じてつながりを持ち始める。不安定だった上の世界は存在が薄れ、夢の世界としてしか存在できなくなってきていたのだ。

ここから、6の物語が展開される。

そして、物語の最後に、3の竜の女王が残した卵がようやく孵る。中から生まれたのはもちろん、竜の中の王であり、後に世界を統べる神となる竜、マスタードラゴンである。上の世界は、天空城ひとつを残して、とうとう完全に消え去るのだった。(4と5の物語に続く)

 

 

というバックストーリーを信じて小学生のときから最近まで生きてきたんだけど、

 

最近調べたら上の世界はデスタムーアが作ったものだってゲーム中に普通に明言されてたよ!!!

 

俺の仮説は根底から崩れ去ったのでした。

これだから、にわかの考察は。

あと、ダーマ神殿も普通に下の世界にもあった。滅んでたけど。

ドラクエ6は小学生のときの1回しかプレイしてないし、内容うろおぼえのままの考察は普通に穴だらけですな。

 

ただ、上下の世界というドラクエ3との共通点を本当に堀井雄二が何の意図もせずに配置したとは今でも俺にはどうしても思えないんだよね。

仄めかす程度でも、俺の仮説とは全然違っていても、ロトシリーズ天空シリーズにも何らかのつながりがあるといいなぁ。

 

俺の稚拙な考察ではなく、

詳細な調査としっかりした根拠に裏打ちされた、

めちゃめちゃ面白いドラクエ6の考察を読みたい方はこちらをどうぞ。

「ドラクエ6」が本当に目指したもの(1)バーバラと竜: かのろぐ(Kanohlogue)

 

ドラクエは6で止まってるけども、7以降もいつかやりたいな。

 

アルティメットヒッツ ドラゴンクエストVI 幻の大地

アルティメットヒッツ ドラゴンクエストVI 幻の大地

 

*1:2018年現在、本当に公式設定になっているらしい。少なくとも血の繋がりはあるそうだ。個人的には残念。

【読んだことない人へ捧ぐ】封神演義 が面白い3つの理由

封神演義

 

【作品解説】

1996年から2000年にかけて、週刊少年ジャンプにて連載。

西遊記」や「水滸伝」と並ぶ中国の有名古典奇書である「封神演義」を、

作者の藤崎竜が大胆な解釈と世界観でリメイクし漫画化した傑作少年漫画。

紀元前11世紀、国家が殷から周へと移り変わろうとしている中国を舞台に、

人間界で巻き起こる殷と周の戦争と革命と、

その背後で起こる、仙人たちの強大な科学力を用いた激しい戦いを描く。

 

不思議な力を持つ仙人や道士や妖怪たちが、「宝貝」と呼ばれる兵器を駆使して戦い合うバトルが中心となる、ジャンルとしてはいわゆる「能力者系バトル漫画*1」の一つだ。

 

 

【あらすじ】

今から3000年前の古代中国、国名は「殷」の時代。時の君主 紂王は文武共に優れた名君であり、彼が殷をさらに繫栄させることを誰もが信じて疑わなかった。しかし絶世の美女、妲己を皇后に迎えて以来、紂王は人が変わってしまう。彼女は強大な妖力を持つ邪悪な仙人だったのだ。彼女の怪しい術に惑わされ、かつての賢君は見る影も無い抜け殻になり、悪政を続ける紂王と妲己によって国は乱れに乱れた。

仙人界、崑崙山の教主 元始天尊はこの状況を打破すべく、妲己を倒し、妲己一味の悪の仙人たちを封じ込める任務を自分の弟子である太公望に命じる。しかしその裏には、単なる妲己退治ではなく、人類の存在の根幹にかかわる、遥かに大きな計画が隠されていた―――。

 

 

① 未来科学文明と古代中国文化が融合した、独特の世界観

封神演義』は3000年も前の古代中国の話だ。

当然、世界観も、まだ機械文明なんてかけらも存在しない大昔の中国がそのまま舞台になっている。

地上の人間たちが暮らす人間界は。

 

封神演義』の世界は、3000年前の中国には仙人と呼ばれる不思議な力を持つ者たちが存在し、彼らは中国の上空に空飛ぶ島々を浮かべ、そこに独自のテリトリーを築いて暮らしているという設定だが、この仙人界が現代よりもはるかに科学力が進んだ超未来的文明として描かれている。言ってしまえばSF的世界観である。

 

ロボット、人造人間、人造生物、亜空間、ウィルス、化学薬品、そういったものを惜しげもなく投入してくるし、仙人の多くは物理や化学などの現代的な科学理論をしっかりと習得している。

登場する建造物やメカや生物、登場人物たちのデザインや服装も独特で、きちんと古代中国らしい建物に暮らし、中国らしい服を着ている地上の人々とは一線を画している。

 

いや、一線を画するどころか、めちゃくちゃ奇抜。

元々、作者の藤崎竜は、かなり独特なセンスの持ち主で、

そのセンスをいかんなく発揮させてデザインされた仙人たちの見た目は、

およそ古代中国の人たちのそれとは真逆

封神演義」で画像検索して、キャラの服装を見てほしい。前知識がなかったら古代中国の話とは絶対に思わないはずだ。

 

そして、この藤崎竜の独特の近未来的なセンスと、

3000年前の古代中国の中国らしいエキゾチックな雰囲気

この2つが融合することで、この漫画でしか成しえない唯一無二の独特の世界観が生まれている。

 

この独特の世界観こそが、『封神演義』最大の魅力の一つだ。

はるか昔の中国、なのに近未来的。

この矛盾が生み出す不思議な世界観を、ぜひ体験してほしい。

 

 

② わずか23巻で綺麗に完成されたストーリー

週刊少年ジャンプ

それは、人気がなければ打ち切られ、人気があれば引き伸ばされる、

地獄の雑誌である。

 

そのシステムの仕様から、漫画家自身が自分の望む長さで、自分の望む着地点に漫画の結末を持ってくることは、ほぼ不可能だ。普通は。

 

「打ち切られるほど人気がないわけじゃないけど、ジャンプのTOP3に入るほど人気があるわけじゃない」この絶妙な状態を、何年もの連載期間ずっと維持し続けた奇跡の漫画でなければそんなことは達成できない。

 

ところが、『封神演義』はそれを成し遂げたのである。

 

しかも、最終巻で辿り着く結末に向けて、

1巻2巻からしっかりと伏線を張り巡らせている。

それをめちゃくちゃ綺麗に回収して、

あっと驚く上に誰もが納得する結末を完璧に描いている。

 

これも週刊少年ジャンプでは普通あり得ないことだ。

とりあえず10週続けることがものすごい高いハードルで、

その後も人気がなければ容赦なく打ち切られる世界にあって、

見切り発車して連載開始してから後付けで話を考えていくのが普通である。

 

俺は「後半の展開」にも「終わり方」にも物議を醸さずに、

綺麗にまとまって着地したジャンプの漫画は、

ダイの大冒険』と『封神演義』しか知らない。

23巻という丁度いい巻数で終わらせているものは、

封神演義』だけだ。*2

 

とにかく『封神演義』のストーリーは驚くほど上手に作り込まれている。

伏線の張り巡らせ方、その回収の仕方、どちらも見事だ。

16巻以降の、後半の怒涛の展開には、あっと驚かされること間違いなし。

伏線系の漫画が好きな人なら、絶対に読んでほしい一作だ。

 

 

③ 深い行動理念に裏打ちされた魅力的なキャラクターたち

封神演義』は、単純な勧善懲悪じゃない。

敵側である妲己、聞仲、申公豹、趙公明といった人物たちにもそれぞれの行動理念があり、それらが複雑に絡み合ったり、意外な形で衝突を見せたりする。

味方側の元始天尊にも様々な思惑があり、それはストーリーが進む中で少しずつ少しずつ明かされていく。

 

多様なキャラクターが持つ様々な行動理念バックストーリー信念思惑謀略、それらが生み出す一つ一つのドラマも見所だし、それらが複雑に絡み合って予想外の展開を迎えるのも、この漫画の醍醐味だ。

 

特に、主要キャラクターの大部分の思惑や信念や陰謀がぶつかって、凄まじい結末を迎える仙界大戦の最終盤、コミックス16,17巻は必見。

 

バトル漫画でありながら人物描写や関係描写は深いし複雑だ。

封神演義』が描く人間ドラマは、背筋がゾッとする面白さがある。

 

 

SF的世界観と古代中国文化が融合した独特の世界観の中で、

伏線とその回収を23巻という丁度よさで綺麗にまとめたストーリーが、

深く描かれた多様なキャラクターたちの人間ドラマと共に展開される。

 

封神演義』、オススメです。

封神演義 完全版 全18巻 完結セット (ジャンプ・コミックス)

封神演義 完全版 全18巻 完結セット (ジャンプ・コミックス)

 

*1:火を操ったり水を操ったり、異なる超常能力を持った者同士が戦うバトル漫画のこと。

代表的な作品は『ジョジョの奇妙な冒険』『HUNTER×HUNTER』『ONE PIECE』など。

*2:ダイの大冒険』は全37巻